3度目の緊急事態宣言をうけて、お寺から何か発信しなければと思い、山門横の掲示板にメッセージを書きました。
字の汚いのは毎度のことなので、そこはご愛嬌。。
さて、宣言下にあっても、気の緩みが否めないのは事実としてあるでしょう。私も、過去の緊急事態宣言下での実証の報告(今風に言うエビデンスってやつですか)がないままに、どう受け止めて良いのかわからないところはあります。
かといって、それを無視してもいいのでしょうか?専門家でも予測不可能な中で、色んな取捨選択をしたなかでの発出なのでしょう。
今までの生活に戻りたい願望だけで、人流が収まらないわけでもないと思います。
だったら、せめて少しでも安心できることがあれば、気持ちも多少落ち着くことができるのでは?
そう思って、掲示板に書きました。
これは、理想論で書いたわけでもありませんし、たびたび申してますように、いかに『信じる』ことができるのか。。これに尽きます。
人を信じる。物を信じる。神を信じる。仏を信じる。そして、己を信じる。。
どれからでもいいので、ひとつでもできたら、周りの人・物などに優しく接することができる。国に人に言われなくても、そういう信念が生まれれば、人流はとまり人は落ち着きをとりもどせる。私はそう信じるので、祈ります。
考えが甘いと言われれば、それは大いにあると思います。しかし、そういうことが、今求められ、迫られ、試されているのかもしれません。
こういう時だからこそ、みんなで助け合いの気持ちで、すこしでも笑顔でいられる世の中になるように。。そして、コロナ感染が少しでも早く終息するように。。
南無妙法蓮華経
九拝
住職 瑞功