昨日の境内剪定の時、庭師の浦川さんに開基堂倉庫にたまっていた木材を持って帰ってもらうことになっていました。(おそらく先代師父が、冬場の暖をとる為に、木材を大量に置いていたようです。。でも、今になっては必要ないので、処分をお願いしました…)
すると、一番奥からとんでもないものが発見されたのでした!
外に出してみると、墨で字が書いてある。。
もしやこれは。。
かつて、境内に建ててあったと思しき『十方法界万霊塔』だったのです。
こちらには『水子之霊』と書かれています。
そして、開基日善上人の名前も!
推測ではありますが、この供養塔は、今の十方法界万霊塔と水子供養場の最初の形であったのではないでしょうか。。
その後、今の石塔に新調した際に、木の塔はお役御免となり、また場所を取ることから、コンパクトに切って、いつしかお炊き上げすることにでもなっていたのでしょう。。
そして、こんなものも‼️
平家一族供養の角塔婆が残されてました。。
一説によると、うちのお寺は昔合戦跡だったと聞いたことがありました…(そういった書物は残されていませんが、平家が都から衰退していく折、この地で一戦あったのかもしれません)供養する由来は全くわかっていませんが、開基上人がお経をあげて、供養しておられたんやと思います。
このことは、これから図書館等で調べる必要があるかもしれません。。
というわけで、また一つ埋もれていたお寺の歴史に触れることができた気がします。歴代のお上人が築き上げてこられた上に、今のお寺があり私がいるのだと再認識させていただいた、そんな貴重な時間でした。
またこの難儀な作業、長時間要したにも関わらず、快く引き受けてくださった庭師の浦川さんには、本当に感謝申し上げます!
ありがとうございました😊
現在の十方法界万霊塔と水子供養は、屋根もついて、ご来寺の皆さんがいつでもお参りいただけるようになっています!